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小澤征爾を語る11の名盤

2024年2月に逝去した日本を指揮者・小澤征爾。1959年、スクーターにギターを携えて日本からフランスへと武者修行に旅立った小澤は、見事にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。その後世界で活躍する指揮者として躍進し、2020年代に至るまでその功績を示す数多くの演奏・録音を遺した。指揮者の偉業を振り返りながらその録音を聴き直すことで、再び感動を味わいたい。


音楽体験を通じて時代を共有した指揮者として思い浮かぶのは、クラウディオ・アバド、ズービン・メータ、小澤征爾ら1930年代生まれの世代である。レコードでカラヤンやバーンスタインの演奏を聴いていた頃、期待の若手という触れ込みでアバドや小澤の新録音が話題になり始めたのが1970年前後のことだから、半世紀以上前のことだが、当時から距離感の近さを感じてきたように思う。 その頃から今日まで、時代を共有する感覚で聴き続けてこられたのは、最初に出会った演奏が等身大で親しみやすく、わかりやすかったからかもしれない。少し前の巨匠たちの演奏は近寄りがたい威厳や強烈な個性があり、聴き手が構えたり、力んでしまう雰囲気があった。一方、20世紀後半に活躍し始めた指揮者たちはそこまで圧が強くなく、身近に感じることができたのだ。

なかでも小澤の演奏は身近に感じることが多く、音楽がスーッと身体のなかに染み込んでいくような、自然な気持ちで演奏に接していたように思う。テンポを大きく揺らしたり、過度な表情を加えることは滅多になく、作品本来の姿をとらえやすいという良さもあった。当時はもっと強い個性で人気を呼んだ指揮者も多かったので、小澤の演奏が注目を集める頻度はそれほど高くなかったものの、曲によっては一番しっくりくると感じたことをいまもよく憶えている。

だが、いまもう一度聴き直してみると、余分な加飾や強すぎる個性を感じさせない小澤の演奏はむしろ現代的に聴こえる。見通しが利くので各パートの動きが細部までよく分かるし、弦楽器と管楽器のバランスが自然なので旋律、伴奏、リズムの関係を把握しやすい。特に、その作品を初めて聴くときにはとてもわかりやすいと思う。

そんな演奏の特長に気付くことができるのも、当時の録音が良い状態のまま今日まで保存されているおかげだ。レコードやCDなど物理メディアには寿命があるが、デジタル化した音源は再生手段さえあればオリジナルそのままの状態で永久に残る。優れた演奏はおそらく100年単位で聴き継がれていくだろう。小澤征爾の録音もそのなかに含まれ、何世代にもわたってファンが増え続けるはずだ。複数のレーベルを横断して多くの録音を遺してくれたことを感謝したい。


性急さのない落ち着いたテンポの演奏だが、実は着実な推進力があり、第2楽章も旋律をていねいに歌わせることで息の長い音楽を作り上げている。精緻な構成力が伝わる第3楽章に続き、終楽章でも各セクションの間のバランスを丹念にコントロールしており、作品の立体的な構造が浮かび上がってくる。スコアが目に浮かぶような緻密な演奏は、この時期の小澤の演奏に共通する特長の一つなのだ。重心の低い安定した響きと弦楽器の瑞々しい音色に、当時のフィリップスレーベルの録音の特長がうかがえる。1975年5月サンフランシスコで録音。


北米でボストン交響楽団とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を兼任しつつ、ヨーロッパのオーケストラへの客演と録音も精力的にこなしていた1970年代前半を代表する名録音の一つだ。小澤はパリ管弦楽団の多彩な音色を引き出す才能がひときわ高く、チャイコフスキーのおなじみのバレエ組曲から色彩感豊かな音を引き出している。ワルツのリズムの軽快な動きなど、他の指揮者がなかなか真似のできない洗練された感覚もそなわる。潤い豊かな弦楽器や浮遊感のある木管楽器など、録音の質感の高さにも注目したい。1974年2月パリ、サル・ワグラムで録音。

1970年代前半はサンフランシスコ交響楽団とボストン交響楽団の音楽監督を兼任していた時期があり、ドイツ・グラモフォンやフィリップスへの録音も増えて活躍の場が急速に広がった。ガーシュウィンとルッソを組み合わせたこのアルバムもその時期を代表する録音の一つで、アメリカのルーツ・ミュージックとオーケストラが自然に溶け合う演奏は優れたリズム感を持つ小澤征爾ならではの楽しさにあふれている。ハーモニカやエレキギター、エレキベースを含むブルース・バンドの音もクリアな音で収めており、音響的な聴きどころがたくさんある。1972年&1976年カリフォルニアで録音。

マーラーの交響曲は小澤のレパートリーのなかで重要な位置を占めている。第2番《復活》にも優れた録音があるが、ここではボストン交響楽団を振った第1番《巨人》を推薦。透明感が高く自然に音楽が流れる第1楽章に続いて、《花の章》の柔らかい弦楽器とトランペットの美しい響きが聴きどころだ。最終楽章は重心の低いバランスを支えにオーケストラのポテンシャルが一気に解放されるが、混濁や飽和とは対極の澄んだ響きを保っていることに小澤の耳の良さが読み取れる。1977年10月ボストン、シンフォニーホールで録音。

小澤のストラヴィンスキーはこの《春の祭典》のほか、《火の鳥》の演奏も現代に通用する名演を遺している。《春の祭典》では荒々しさを極端に前面に出すことはないが、各セクションの間での複雑なリズムの対比を明瞭に描き出し、音量バランスも一切の偏りがなく、その点では21世紀の最新録音と紹介しても疑う人は少ないのではないか。金管楽器も打楽器も限界近くまで楽器を鳴らし切っている。その強靭なエネルギーをあますところなくとらえた録音にも注目したい。1979年12月ボストン、シンフォニーホールで録音。

レスピーギのローマ三部作は楽器間のバランスの適切なコントロールと音色の吟味が求められる作品の代表格だ。それこそ小澤が本領を発揮する領域の一つであり、この曲の数ある録音のなかでも筆頭に上がるほどの優れた演奏を聴かせている。弱音領域での精妙な音色と密度の高い表情、そして息の長いクレッシェンドで到達するクライマックスで聴き手を圧倒する破格の音響体験。フルに鳴り切ったボストン交響楽団のマッシブな音を見事にとらえている。1975年&1977年ボストンで録音。

2002年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、ニューイヤーコンサートにも初登場を果たした。体調を崩したことでこのポストは途中で退くことになってしまったが、伝統あるオペラハウスの采配に関わったことは小澤にとって貴重な体験になった。ニューイヤーコンサートのワルツやポルカも軽く流すのではなく、実にきめ細かく表情を描き分ける繊細な演奏を聴かせ、小澤の要求に応えるオーケストラの反応の良さも注目に値する。柔らかく広がるムジークフェライン・ザールの余韻を忠実にとらえた素直な録音。

作品の深い理解に基づいて特殊な編成の「戦争レクイエム」の全体像を正確に把握し、作曲家が目指した響きを忠実に再現する。小澤のスコアを深く読み込む能力の高さをうかがわせる優れた録音の一つである。ニューヨーク公演(2010年)でのこの曲の録音も歴史に残る名演だが、松本で2009年に収録されたこちらの音源の方が、作曲家が目指した立体的で奥行きのある空間表現を忠実に再現しているように思える。児童合唱の距離感や打楽器群の地を揺るがすような大音響は他に例を見ない高水準。優れた再生システムで聴くことを強くお薦めする。2009年8月キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)でライブ録音。

「奇跡の復活」と賞賛を浴びた2010年12月のニューヨーク公演初日に演奏されたブラームスのライブ音源。小澤征爾がサイトウ・キネン・オーケストラでこの曲を振ると演奏家たちの集中力が頂点に達し、忘れがたい名演を生むことがしばしばだが、このカーネギー・ホールの公演はそのなかでも別格というべき名演だ。第1楽章からすべてのフレーズで熱量が増大し続け、第4楽章で頂点に達する。低弦や打楽器の瞬発力をとらえきった録音も秀逸。同時期の「幻想交響曲」、「戦争レクイエム」とともに推薦に値する。2010年12月カーネギー・ホールで録音。

交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番は別のコンサートでの演奏だが、いずれも水戸室内管弦楽団の定期演奏会を収録したもので、その場に居合わせたかのような臨場感が素晴らしい。どちらの曲も演奏にみなぎるエネルギーが強靭で、若いベートーヴェンの強い意気込みが乗り移ったかのようなテンションの高さが伝わる。アルゲリッチのオーラも健在。ステージ上の演奏者たちの息遣いまで感じられる高解像度で鮮度の高い録音だ。2017年1月(交響曲第1番)&5月(ピアノ協奏曲)、水戸芸術館でライブ録音。

音楽監督をつとめたウィーン国立歌劇場をはじめ、国内外で数多くのオペラ公演や録音に意欲的に取り組み、大きな成果を上げた。なかでも《こどもと魔法》には特別な意味がある。この2013年のラヴェルの《こどもと魔法》は別格。この2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本での公演のライブ録音は決定版と呼ぶべき優れた演奏で、初のグラミー賞も受賞している。録音もきわめて高水準で、緊張をはらんだ声楽とオーケストラの関係を見通しの良い音でとらえた優秀録音である。2013年8月まつもと市民芸術館で録音。


From e-onkyo music article