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ベスト・オブ・ドイツ・グラモフォン 交響曲・管弦楽曲編

世界最古のクラシック専門レーベルとして知られ、巨匠から新たな才能まで、時代を代表するアーティストが集まる「ドイツ・グラモフォン」。クラシック音楽史に残る名盤・名演、更に名録音の宝庫としても知られる。2023年に設立125周年を迎えた「ドイツ・グラモフォン」の作品群より、オーディオ評論家麻倉怜士氏をセレクターに迎え、演奏、録音ともに優れた「ベスト・オブ・ドイツ・グラモフォン」を厳選して紹介する。


ドイツ・グラモフォン(DG)の歴史は、まさにレコードの歴史そのものだ。その嚆矢が、1898年6月、ドイツはハノーファーに設立された、円盤レコード発明者のエミール・ベルリナーのグラモフォン社(旧EMI)のプレス工場である。以後、125年に渡り、メディアはSP、LP、CD、SACD…と変遷しているが、クラシック録音のメッカとしての地位は、いつの時代も不動だ。

それはその時代の世界最高のアーチストの演奏を、いわゆるドイツ・グラモフォン・サウンドで収録したことの積み重ねの成果だ。クラシックファンの垂涎の的である膨大なコレクションから、絶対に聴いておきたい、世紀の名演奏・名録音を詳細なインプレッションと共に、ご紹介しよう。選択基準は天下のスタンダード+近年の傑作。クラシックファンなら絶対に手許に持たねばならない20世紀の定番作品と最近の刮目演奏を、厳選した。

ぜひ天下の名演奏に浸ろう。

交響曲

カール・ベーム指揮ベルリン・フィルによるステレオ・モーツァルト交響曲全集の後期分売だ。盤石の造形感、覇気に満ちた堂々とした音運び、悠々としたスクウェアな進行感……ひじょうに骨太なモーツァルトだ。音楽の器の大きな体積感と、グラテーションのこまやかで繊細な表情が両立している。

右の第2ヴァイオリン、ヴィオラと左の第1ヴァイオリンの音像的な対比が見事で、中央部はチェロと木管の響きが充満する。特に内声部がハイレゾ化によって、明瞭に聴けるようになったのが嬉しい。この時代の録音の特徴である、奥行きではなく、水平的なパースペクティブの広い音像の並びが聴ける。豊潤な弦楽器倍音が音場内に躍動する様子が、眼前に明確に見える。全集は1959年から1968年まで9年をかけてベルリンはイエス・キリスト教会で録音。年代によって、クオリティは異なる。特に35番「ハフナー」、36番「リンツ」、39番変ロ長調が高解像度、ハイスピード、ワイドレンジで、絶品だ。

ウィーン・フィルから圧倒的に剛毅でハイテンションなサウンドを引き出した、まさに名盤中の名盤である。いま改めて聴いてみると、それほど異端な演奏だとは思えないのは、年月を経て、このような尖鋭で剛性の高い演奏法がポピュラーになったからか。しかし1974年のリリース当時、クライバーの「運命」を初めて聴いた時は、腰を抜かさんばかりに驚いた。私にとって、それまでの「運命」のリファレンスはブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団だったから、この演奏はまさに異次元の体験であったのだ。

まさに偉大なるドライブパワーだ。次から次へと襲って来るリズムの饗宴。こんなシャープな演奏がウィーン・フィルで可能なのか、ウィーン・フィルの当の奏者もびっくりしているのではないか。第3楽章のホルンの強奏。その輪郭の鋭さ、どこまでも透徹した深い響き、ベルリオーズが象の踊りと形容したコントラバスの驚速パッセージの切れ味は満点で、まさにクライバーの鋭敏なリズム感覚の大勝利といえよう。第4楽章の直前でテンポを落とすところなど、イヨっ!大将、憎いぜと声を掛けたくなるほど。

第4楽章の冒頭のハ長調。強靭な生命力がほとばしる勝利のファンファーレの壮快さ。ハイレゾではブリリアントな響き、メジャーの明るさが余すところなくとらえられている。ホルンのこってりとした表情には快感さえ覚える。音質は1970年代のウィーンフィルならではの上質で香気に満ちたソノリティの豊かな音。強奏のトゥッティでは、いかにもクライバーらしい伸びやかさと、はちきれんばかりのエネルギー感が聴ける。ムジークフェラインザールの響きが芳しく、滞空時間がとても長い。「運命」は1974年3月、4月録音。

96歳のヘルベルト・ブロムシュテットが、1998年~2005年までカペルマイスターを、現在は名誉指揮者を務めているライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を振ったシューベルトの交響曲。

もっともオーソドックスで、もっとも音楽的で、もっとも感動的なシューベルトだ。息の長いフレーズを、適度な緊張感を持たせながら、ロマンティシズムも同時に聴かせる手腕に感服。この素晴らしく深い演奏がハイレゾの高音質で聴けることに感謝しない人はいないであろう。

ライプツィヒのゲヴァントハウスでの収録だが、実に明瞭で、細部への気配りと全体とのバランスが行き届いた名録音だ。本オーケストラならではのピラミッド的な周波数バランスと、悠々とした音進行が耳に心地よい。2021年11月、ライプツィヒはゲヴァントハウスで録音。

ヨーロッパツアーの際に、ロンドンとウィーンで録音された、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団によるチャイコフスキー交響曲の伝説的演奏。アナログ時代からの天下の名盤として誉れ高いもの。チャイコフスキーのロマン的側面を誇張せず、ザッハリヒ(直截的)に、スコアを透徹し作曲者の意図を峻厳に読み取り、それを音に再現するのがムラヴィンスキーの仕事だ。 交響曲第4番へ短調は1960年9月、ロンドンのウェンブリー・タウン・ホールで録音された。さすがに録音年代からして、トゥッティの強奏はやや粗い(金管など)が、残響の少ない中での直接音主体の録音は、このオーケストラの凄さを痛感させられる。弦の低域力は、比肩するものがない。

第5番ホ短調と第6番ロ短調「悲愴」は1960年11月、ウィーン・ムジークフェライン・ザール録音。響きが美しく、ソノリティが豊潤だ。古今東西のチャイコフスキー5番でも、最高峰との令名が高い名演奏、そして名録音だ。咆吼するドラマティックな金管、表情の濃い弦、叩き付ける豪快なティンパニ…ロシア的な記号性が色濃く感じられる大迫力、大器量のチャイコフスキーである。嵐のような疾走感、切れ込みの鋭さ、どんなに速くとも一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル。ムラヴィンスキーが厳しく彫琢したオーケストラ音響はすさまじい。

第6番ロ短調「悲愴」では、弦楽器の厚く緻密な音を突き抜けて金管楽器の鮮烈なサウンドがまっすぐに飛んできた。チャイコフスキーが意図した通りのダイナミックな響きが目の前に広がり、その温度感の高さに強い衝撃を受けた。レニングラード・フィルの性能の高さ、豪放ぶりが、ハイレゾで堪能できた。


超耽美的なカラヤン・マーラー! 冒頭からケレン味たっぷりに激烈に、絢爛に鳴らす。これほどスウィートで陶酔的なマラ5は、空前絶後だろう。以前、マラ9でカラヤンは甘美だと書いたことがあるが、マラ5はさらに蠱惑的。ベルリン・フィルもベートーヴェンやブラームスで聴かせる剛毅なドイツ的底力と異なり、ロマンチック性がたいへん濃密だ。指揮者の音楽的解釈から、オーケストラの音色、そしてメディアの音色までが、すべてが「美」を指向している。この艶々なスウィーティな味は、マスターがDSDであることも大いに効いていよう。実に個性的、実に魅力的な、身悶えちゃうようなマーラーだ。1973年2月、ベルリンはイエス・キリスト教会で録音。オリジナルのアナログマスターから独Emil Berliner Studiosにて2017年制作したDSDマスターをリニアPCMに変換。

超有名な作品だ。当時のカラヤンの独裁下にあったベルリン・フィルが奇蹟的にライバル、バーンスタインの粘度の高い濃密なマーラーを演奏したことで大評判になった作品だ。ハイレゾでは、パズルのような音の重層感と密度感が痛切に感じられる。ワインヤード型のベルリン・フィルハーモニーホールの開放的な音響特性下でも、これほど高密度で濃密なマーラーが聴けるのがバーンスタインならではの醍醐味。カラヤンのチョコレートケーキ的なスウィート系マーラー像とは次元を異にする名作といえよう。バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したのはこの1979年10月4日と5日録音のマーラー第9のみ、だ。まさに 一期一会。録音は高彩度で、剛毅なグロッシーさが堪能できる。この年代としては解像度が高い。

カラヤンがセッション録音した唯一のシューマンの交響曲全集。さすが豊潤演出のカラヤンらしく、実に豪華な響きだ。第1番「春」の冒頭がまるでブルックナーのように大器量に始まり、フレーズごとに濃密な表情を付与していく、まさにカラヤン節全開のこってりとし華麗で、濃厚、ロマンティックなシューマンだ。日本の春的に、ゆっくりとグラテーションを持って冬から春に変わるのではなく、ドイツの春のように冷たい4月から、5月になって突然、すべての花が同時に咲き始め、あらゆる花の香りが濃密にミックスされるという衝撃的な春だ。第3番「ライン」も急流に次ぐ急流で、船は大揺れだ。1971年1月、2月、ベルリン、イエス・キリスト教会で録音。

近年、メジャーレーベルは、大規模オーケストラ作品の制作から遠ざかり、ソロや室内楽ばかり作品化しているが、ユニバーサル・ミュージックは大型企画を推進、アンドリス・ネルソンスのボストン交響楽団の首席指揮者就任を祝い、ショスタコビッチの交響曲全集の作品化に踏み切った。その第一弾がこれ。

ライブだが、最近のオーケストラ録音としては圧倒的に素晴らしい。ボストンシンフォニーホールの豊かなソノリティが忠実に捉えられ、全体の分厚い響きと同時に解像感も高く、細部のパートや楽器のアクションも細かに再現されている。音色はたいへん美しい。強奏でも過剰や強調がなく、ひじょうにバランスがよい。弱音部でのソロ楽器もとても明瞭だ。透明感も高く、各パートの動きの捉えも敏捷だ。本演奏からは、ネルソンスは完全に名門ボストン交響楽団を掌握したことが分かる。ネルソンスの音楽は、聴き手も奏者も幸せにする。聴き慣れた名曲から新しい姿が立ち現れる。できれば、その指揮ぶりを映像で見てみたい。ネルソンスの何が素晴らしいといって、もちろん音楽もそうだけど、音楽に全身を捧げている、その指揮姿に感動するのである。2015年4月、ボストン・シンフォニーホールで録音。


管弦楽曲

カラヤンが管弦楽曲を振った時の美質である「色彩感」「スケール感」「躍動感」が、もっとも発揮されたのが、このレスピーギ集だ。ドラマティックで大向こうを意識した見栄こそ、カラヤン節。「ローマの噴水」3曲目の「トレヴィの噴水」は、鮮やかな色彩の饗宴。「ローマの松」はまさに天馬、宙を駆けるが如きの爆発的な躍動感。「ボルゲーゼ荘の松」は弦の高域とホルン、トランペットの掛け合いが実に華麗。ベルリン・フィルの盤石な低音の上に、きらびやかな中高域が乗る。「ジャニコロの丘」は妖艶なクラリネットのソロと幻想的な弦が美しい。 「アッピア街道の松」のピアニッシモから音数と音の強さを増し、フォルティッシモに至る大クレッシェンドまでのオーケストラの機能を全開した大迫力のダイナミズムこそ、本アルバムの白眉だ。まさにハイレゾの威力だ。1977年12月、1978年1-2月、ベルリンのフィルハーモニー、サン・モリッツのフランス教会で録音。

グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルスフィルのチャイコフスキー「くるみ割り人形」は、演奏、録音ともに同曲の決定版と断言したい。精緻なアンサンブルと各楽曲のキャラクターを活かした演出が素晴らしい。スケール感も明瞭だ。音質もたいへん良い。レンジが広く、透明感が高い。音調には力感があり、ハイコントラストで鮮明。金管の華やぎも愉しい。音場表現も刮目。録音会場のLAのウォルトディズニー・コンサートホールのリッチなソノリティに耳を奪われた。音場に華麗な空気が舞っている。音が発せられてからの、広い会場に拡散していく様が手に取るように分かる。右側のハープ、中央奥のクラリネットなどの距離感もリアルに感じられた。2013年12月、セッション録音。

ヴィヴァルディ「四季」の“再作曲”で天下を驚かせた(私もびっくり)、ドイツの現代作曲家マックス・リヒター(1966年~)が、また物議作をつくった。なんと、31曲で8時間も掛かる大組曲だ。Sleepとの名の通り、聴きながら眠りに落ちるように作られた大作だ。ピアノ、ストリングス、キーボード、エレクトロニクス、ヴォイスが、ひたすらリスナーをいかに眠りにつかせるかに努力を傾注。それに抗して8時間眠らずに聴けるか。

1曲目、「Dream 1」 (before the wind blows it all away)はピアノとアナログ・シンセサイザー。単音、和音の違いはあるものの同じシークエンスの打音の連続。「ドリーム」という曲の通り、眠気を誘う。12曲目 moth-like stars(星っぽい苔)。一定間隔の打音の連続。持続音が通奏低音のように奏され、これもSLEEPY。最後の31曲目「Dream 0 (till break of day)」。まるでサラウンドのように弦の音の波が、二台のスピーカーの三角形の頂点にいる私のところに、ひたひたと寄せる。それもとてもジェントルで静かな音調で。本作品には刺激と強調は無縁だ。しっとりとした雰囲気の中で、音がたゆたう。ハイレゾの音が皮膚を通じて、体の中に染みいるよう。音の良さを聴くハイレゾではなく、精神的、肉体的癒しを実感するハイレゾだ。2015年3月19-20日、ニューヨーク、アバター・スタジオで録音。


From e-onkyo music article